「……で、そのまま勢いで?」
「…………うん」

 くるん、と。それは愛嬌たっぷりに。
 ブルーの瞳を興味深げに回して問いかけてきた友人に、渋面で頷く。

 目の前には汗をかいたアイスレモンティーのグラス。
 本当ならばワインでも飲みたい気分だったけれど。お日様の時間、残念ながら止められてしまって。
 素面というのはどうしてこんなに――やり辛いのだろう。殊更こういった打ち明け話は。

 カレンはああもうと毒づくと、グラスの中身を一気にあおった。



   ビタービターレモン



「さっすがカレン、大胆ねぇ! いやはやカッコイイよ。同じ女として尊敬」

 くすくすと。
 可笑しくて仕方ない、といった風情で笑う彼女。
 こちらは優雅にストローでグラスの中身を一口。カレンに投げかけられる視線はそれでも、優しい。
 
 だからこそ。なんというか、居たたまれない。

「もう、茶化さないでよね」
「ごめんごめん、そんなつもりは無いんだけど」

 カレンはジトッと目の前の友人を睨むと、今度はグラスに残った氷をガリガリと噛み砕く。
 紅茶の渋みと、ほんの微かなレモンの風味。その、レモンという響きに敏感になってしまう
 自分に、苦いような思いを抱く。飲み下した氷の欠片の後味が妙に、引っかかる。

 
 ファーストキスがレモン味というのは、真っ赤な嘘である。


 昨夜の出来事から何か得たとするならば、そんな身も蓋もないような教訓のみであろう。
 カレンは盛大に溜息を吐くと、先程友人に洗いざらい暴露させられた昨日の深夜の事件を反芻する。

 それは悲しいかな、笑ってしまうほどに陳腐なストーリー。

 それでも当事者にしてみれば、笑って済ませられるようなものではないのだ。
 現に今も全く晴れることのない、モヤモヤ感と後悔。

「まぁねぇ……ポプリちゃんのこともようやく落ち着いて。次は君らだとは思っていたけれど」

 見事な金髪をかき上げて。
 悶々とするカレンを他所に、彼女はどこか感慨深げだ。

「ねーさんこっち方面はオクテだと思ってたから。予想以上の早さだわ」
「……」
「まさか口喧嘩の勢いで告白して挙句ファーストキスまで奪っちゃうとは。潔いまでの思い切り」
「……お願いだからもう何も言わないで」
  
 誰もが認める姉御肌、そんなカレンは容赦ない友人の前であっさりと白旗を揚げた。
 いかんせん、慣れていないのだ。自分が暴露する側、というのは。


 そう、自分にそんな話は無縁だと、思っていた。


 想い人はカレンの気持ちなど露知らず、何時だって妹のことばかりで。
 彼の周りに浮いた話一つないのは、まぁ良かったといえるのだろうが。
 それはカレンとの間においても、例外ではなく。

 幼馴染。

 それ以上でもそれ以下でもない、関係。
 カレンと、その想い人、リックは今までずっと、そんなスタンスで付き合ってきて。
 ようやく『妹離れ』した彼がポプリとカイのことを認めるに至って、今がチャンスだ、なんて。
 特に今も目の前でカレンの話に耳を傾けている彼女には、さんざん発破をかけられたのだけれど。

 
 まさか、その時がこんなにも早く来てしまうなんて。


 しかもそれは、自分の半ば自棄ともいえる強引な働きかけによる。

「だって、アイツが悪いのよ! どうして解んないのよ」
「確かに、カレンの決死の告白を『どういう意味だよ』は無いと思うわよ、私も」
「決死の告白って……」
「食いつくところ違うでしょ……それに、あれを告白といわず何を告白というの」

 バッサリ。
 見目は麗しい友人の言葉に鮮やかに斬られたカレンは、ううと一声呻いて机に突っ伏した。
 よく磨かれたそれのひんやりした質感が、火照った頬に心地良い。

 
 きっかけは、何だったかもよく分からないような些細なこと。


 互いに昨夜は、随分酔っていて。
 その分二人とも、かなり気が大きくなっていたのだろう。ちょっとした戯れが、怒涛の如き
 言い争いにまで発展してしまい。余り言ってはならない種類のことを、互いに口にした。
 
 カレンにも否はあった。
 
 それでも、どうしても許せなかった言葉。


『放っといてくれよ。関係ないだろ、カレンには』


 ふい、とそっぽを向いて。
 そのまま立ち去ろうとした後姿に、何故かカッと血が上って。

『何それ、関係ない、って』
『言葉通りの意味だよ。所詮他人じゃないか』

 気付くと、思いの外、がっしりとした腕を捉えて引き止めていて。

『――っ、馬鹿! 人の気も知らないで!』
『何だよ、離せよ』
『関係ないだなんて、そんなこと……私はっ』

『私はずっと、あんたのことが、リックのことが好きで』


 馬鹿みたいじゃない、私だけ


 鼻がツンとして。最後は声が、震えていて。
 言ってしまったと、熱くなった頭でそんなことを思い見上げた彼は。きょとんと、虚を突かれ
 カレンを見つめていた。意味が分からない、なんて風情で。

『……なんだよ、それ。どういう意味だよ』

『――っ』

 じわ、と視界が滲んで。
 どこまで馬鹿なんだ、この幼馴染はなんて。

 何時の間にか、広がっていた身長差。

 しがみ付くようにして埋めた、距離。
 噛み付くように一瞬だけ触れたその場所は少し、乾いていた。


『馬鹿ッ!』


 そんな、色気も何もない、捨てゼリフ。

「……ばか、よねぇ。わたし」
「まぁ、リック君ほどではないにしろ。馬鹿ね、ねーさんも」

 朝の日課、雑貨屋前でのおしゃべり。
 当然のように、抜け落ちた日常。

「……はぁ」
「似合わないよ、溜息なんて。どうしたいかはもう決まりきってるくせに」

 友人の言葉通り。決まりきった答え。
 分かっている。こうして悩むのなんて、柄じゃないことも。心にある、その答えも。

「……うん」
「なるほどねぇ」
「あ」

 がば、と顔を上げる。
 突如割り込んできた相槌、その主は――――


「母さん!」
「お邪魔してます、サーシャさん」 


 ニコニコ、というかニヤニヤ。
 そんな表情で、サーシャは空になった二つのグラスにアイスティーを注いだ。
 ことりと傍らに置かれたのはお茶請け、クッキーの皿。

「いらっしゃい、クレアちゃん」

 いやに上機嫌。
 弾んだ声色でクレアに応え。サーシャはさてさてとカレンの向かい、クレアの隣に腰掛ける。

「昨日の晩、やけに荒れて帰ってきたのはそういう訳だったのかい」
「……どこまで聞いてたの」
「人聞きの悪い。アンタの声が大きいんだよ」

 お茶請けを誰よりも先につまみ、涼しい顔で。サーシャは娘の抗議をさらりと受け流す。
 クレアに向かってひたすらまくし立てたのは事実故に、反論できないカレン。


「まぁまぁ。サーシャさんはどう思います?」


 意識的に眉根を寄せて、母を睨んで。救いを求めるように友人を見つめるカレン。
 しかし無情なことに、その無言の訴えは届かなかった、というかスルーされて。

「どう、ってねぇ……まぁそんなもんだよ、初めてなんてさ」
「うーん、深いですねぇ」

 何故か当事者を抜きに、進む会話。

「そう言うってことは、サーシャさんの初めても……」
「あっはっは。面白いこと聞くんだねぇクレアちゃん」

 そして何やら盛り上がる、二人の会話。

 ミネラルタウンの夫婦たちは、皆仲が良い。
 中でも殊更、雑貨屋夫婦、つまりジェフとサーシャの仲は良いほうではと思うカレン。
 娘から見ても恥ずかしくなるような、まさに『犬も食わない』喧嘩。そして何かしら
 町の祭りの度に聞かされる、惚気話。しかし。はたと、ひらめく。

「そういえば私も聞いたことない、その話は」
「なら尚更! 私も是非聞きたいです、後学のためにも」
 
 喜々として乗ってくるクレア。
 そんな娘たちに、サーシャはニッと笑った。
 表情とは裏腹に、眼差しはどこか遠くを見るよう。


「――そんなに言うなら聞かせてやろうかねぇ」


 共に、アイスティーを一口。
 固唾を呑んで、二人のうら若き乙女たちは大先輩の言葉を待った。


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