それは、ふたり、星を眺めている時だった。
 
 隣にはその冠した名のごとく世界を照らすような少女がいて、まどろむ温もりと穏やかさを与えてくれる。
 あれは何ていう星ですか、あっちの赤いのは? 弾む声色とふわり揺れる胡桃色の髪が傍らに在るだけで
 こんなにも満ち足りるのは何故だろう。そんなことを思う自分に驚きながら、でも、穏やかな気持ちで。
 星を眺めていた。何も欠けていない、はずだったのに。いつの間にか、左隣からの相槌が、消えていた。



   その有限の恒久を



 永遠にも近い、刻を。輝き続けた星たちの物語。それを語って聞かせていた。ずっとずっと昔の、物語。
 始めははい、はい、と、穏やかな相槌が聞こえていた。そこはささやかで、静かな世界だった。
 何度も書物を紐解き反芻した、古い物語。それに彼女の控えめな、でもあたたかい相槌が加わるだけで。
 自らの声で語られる物語でさえも、やわからな色彩を帯びてくるような気がした。随分と永い刻を生きて
 きたはずなのに、その感覚は、感情は、とてもとても新鮮で。だから、だなんて言えないけれど。気付く
 のが、遅れてしまったのかもしれなかった。いつの間にか相槌の声が、小さく震えていたことに。

 彼女は何時だって隠し事が悲しくなるほどに上手で。
 自分は一番知りたいときに、彼女の内側を見通せなかった。


「……――ヒカリ?」


 美しい名前だと、思う。遠い国の言葉で、光そのものを、あらわす響き。それを小さく転がすと、やや
 あってハッと息をのむ声が聞こえた。

「あ……ごめんなさい。ちょっとぼんやりしてしまって」

 魔法使いさんのお話、とっても素敵だったから。そう言って笑う彼女。表情をうかがえば、心安らぐ
 微笑みが在った。だけどそこに映る、ほんの少し、ほんの少しだけの、憂いのきれはし。

「……別に……構わない」 
「でも、すみません……えっと、続き、聞かせてください」

 そう言って笑った時にはもう、姿を消した陰り。そのことが何故か、悲しくて。そっと、問う。

「……何か……聞きたいこと、ある?」

 え、と目を丸くするヒカリ。何故と首をかしげられても上手く説明できない。こんな時、言葉とはなんと
 不自由なのかと、はがゆい。

「……何だか…少し、元気ない」

 それだけ投げかけると。彼女のまゆが初めてはっきりと分かるほどに、下がった。
 辺りはただ静かで、星たちは変わらず瞬いている。月の無い夜。

「…………ひとつ、たずねてもいいですか」

 不安げな。縋るような、問いかけに。こくりと頷くと、どこかくぐもった声色が続いた。

「魔女さまに、伺いました」

 何を、と問うと、ぱちぱち瞬かれる、胡桃色の瞳。それは魔法使いでもなく、星たちでもない、只管に
 遠くを見つめようとしているように、見えた。

「永い、永い時間を生きてゆく方々はみな……」


 わすれて、ゆくのだと


 囁くような終わりの一言が。その声の頼りなさとは裏腹に、ずしりと、響いた。

 遠い昔のこと。生まれたころの記憶。出会ってきた街、景色、人間、自分と同じ人外の者たち、そして、
 師匠と呼んでいた存在。ほとんどが、今はすっかり形を変えていたり、もう、存在すらしていない。
 そしてそれらの記憶はほとんどが、ぼんやりと曖昧で、断片的なものだった。それが、意味すること。

 はっきりと違う、刻の流れ。

 押し黙り、何も言えないでいると。左隣の彼女は続けた。
 しずかな、しずかな声色で。ともすれば星の瞬きにさえも隠れてしまいそうな、かそけさで。

「永い時間を生きる者にとって……思い出は時に、身を裂く刃にも、なるのだと」
「……」

 ヒカリ、と、呼びかけようとして。出来なかった。それが。
 大地の温もりを思わせる瞳には、今にも零れそうなほどに水が満ちていて。それでも彼女は、微笑むから。

 
 あのね、魔法使いさん


 代わりに、淡い桃色に染まった頬に指を滑らすと。自分にできなかったことを、越えられなかった何かを
 容易く越えてくる彼女がいた。耳に心地良い声が、呼びかけてくる。

「忘れないでとは、言いません」

 きっぱりとした、言葉。思えばそのおっとりとした空気とは裏腹に、彼女の言葉はいつだって、すっと
 強さを伴って、届いた。そうかと思えば、どうやって思いを言葉に乗せればいいのか分からない、己の
 ことを。彼女はどんな時も、ゆるやかに辛抱強く待っていてくれたけれど。そう、彼女はいつだって、
 やさしくて。あたたかくて。こうして忘却という名の自衛にすらも、許しを与えようとするほどに。

「忘れることで、あなたの心に平穏が訪れるのなら――」

 忘れろ、と。それは残酷なまでの優しさだった。
 そんな彼女はそこまで言って。でも、と付け足した。でも、一つだけ我儘を言います、と。そう言って
 顔を上げ、こちらをじっと見つめてくる。風になびく、やわらかな胡桃色の髪の間から覗く、思いの他
 強い、まなざし。


「でも、私は、忘れません。忘れたく、ありません。……いつの日か、魔法使いさんを置いていってしまう
 ようなわたしでも。その最後の刻までずっと、側にいたいとそう、願ってしまうんです。ごめんなさい、
 ほんとうに、勝手で」
  

 ああ。その頼りない小柄な身体で。細い肩で。ふわりと笑う彼女の姿に、思わずため息が漏れた。そして、
 はじめて強く。願いたいと思った。願おうと思った。目の前の少女と共に、生きてゆくことを。その存在も
 何もかもを抱いて、決して手放さずにいることを。


「ヒカリ…………俺も……忘れない、から」


 保証なんてできないのかもしれない。どうしようもない、戯言なのかもしれない。憎らしいほどに違う、
 刻の流れ。許されたあまりにも短い時間と、その先に横たわる果てしない、時間。

 だけど、今だけは。

 そう言いたくなった。そう言って、ただ目の前の存在をかき抱きたくなった。
 たとえそれが、夢物語なのだとしても。否、これだけは――そうできると、思った。


 穏やかで静かな、月の無い夜。恒久の刻を輝き続け、今も命を刻み続ける星たちの下で。
 抱きしめた温もりのことはきっと忘れないだろうと、きっといつまでもあたたかに己を照らし続ける
 だろう、と。はっきりとそう、信じることが出来た。


 この星たちのように、いつまでも。
 

 それは有限の者たちの、愚かでしかし、真摯な、願いだった。  





いつか忘れてしまうかも、しれないけれど。

魔法使い系カップル(何)は切なくて、でもとても好きだったりします。
魔法使いの雰囲気がとても好き。



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