宝石のようなこはく色の大きな目が、くるりと動いて。そして細められる。すうっと。遠い遠い何かを、
 見極めるかのように。長いまつげが白い頬に影を落として、星の光を集めたような銀の髪がさらさらと
 肩を流れる。ふ、と小さなため息が、香の焚かれたその場所の空気を少しだけかき回した。
 
 そうして彼女は肩をすくめ、ぽつりと呟く。忘れちゃったわよ、そんなの、と。



   その有限の恒久を



 それは何ということの無い会話の一部分だった。静かな午後のことだった。
 
 カボチャのパイが食べたいの、と、相も変わらず突拍子の無い、彼女の言葉。
 一度言いだしたら聞かないことはよく心得ていたから、なんとか宥めすかして明日持ってくるから、と
 約束を取り付けたのが昨日。あたしは今食べたいのよ、と文句を言いながらもどこか満更でもなさそう
 だった、天真爛漫な魔女の元に。タケルは焼き立てのかぼちゃパイを携え、やってきた、今日。

 会話は何時もと変わらないような、他愛のないもの。

 魔法使いったらね、もう! とか。そういえば今度はアレが食べたいんだけど、ねぇ、とか。
 むぐむぐ口を動かしながらまあまあね、なんて言いつつ。二切れ目のパイに手を伸ばす彼女は、相も変わ
 らず、お喋りで。先ほどまで笑っていたと思ったら突然眉をひそめて、かと思えばまたころころと笑う。
 そう、彼女と過ごす時間はもう、あまりに、日常で。その万華鏡のように目まぐるしく変わる表情は、
 あまりに普通の、少なくともタケルにとっては、あまりに、普通の、女の子で。いとおしくて。


 だから、忘れていたのだ。


 彼女の中に流れる、タケルにとってみれば恒久とも思えるような、その、時の流れを。
 彼女と自分とを隔てる、絶対的な、違いを。

 女神ちゃん、昔っからねぇ、だなんて。きゃいきゃいと喋り通す彼女にふっと、何の気なしに、投げた
 問い。言ってしまってから、ぱちくりとこはく色の目が瞬かれてから、ああしまったと思って。ずっと
 忘れていた、もしかしたら見ないようにしていた暗いぽっかりした穴を、覗き込んでしまったような
 思いがして。タケルはほんの十数秒前について出た問いを、ゆらゆらと二人の間に浮かんでいる、一瞬
 で空気を居心地の悪いものにしてしまったそれを、出来るなら消してしまいたかった。ああ魔法が使え
 たらな、なんて、こっそりと、願った。


 昔って、いつの話?


 意識しなければ、何も意識なんてしなければ或いは、何ということの無い、問いだった。思えば前だって
 そのような類のことを尋ねたことがあった。その時彼女は何と答えただろうか。覚えていないけれど。
 だけど、少なくとも、今。彼女を彼女として愛し、出来るだけ、永く、と。そう、望んでしまっている今。
 どうしようもない隔たりを、どうしようもなく諦めきれない、今。自分で自分のことを抉るような、己の
 言葉に。タケルはひとり、憤った。そんな彼を余所に、彼女は紅茶を一口、そして誰に聞かせる言葉でも
 ないかのように、続けた。

「永い刻を生きる者たちはね、みんな、忘れてゆくの。自分のこと、守るために、ね。だってさ、如何に
 自分がたくさんを、手放してきたかなんて。そんな記憶積もらせてったら、やってらんないものね。
 そんなもんよ。アタシたちはね。……だからねぇ、もう、そんなカオしないでよね! 全く」

 最後の言葉でふっと我に返る。ああ、彼女がこちらを見つめている。けろりとした表情から、何かの
 感情は読み取れない。こちらはこんなにも、痛いというのに。じくじくと。それとも彼女にはもう、
 そんな痛みも、無いのだろうか。
 アタシたち、なんて、そんな言い回しがやけに耳に残る。その、“たち”に、自分は入れない。


 なら、と。


 気付けば言葉が滑り出ていた。
 こはくの瞳には、何時もぼんやりしてるわよね、と評された顔が映っている。

「ん? どしたのよタケル、今度は何よ」

 首をかしげる、彼女。銀糸がさらさら、零れおちる。さらさら。本当に音が聞こえてきそうだ。
 その手を取ると、ぴくりと肩が震える。そんな初心な反応もまた、いとおしかった。ひんやりとした手を
 握りしめる。綿々と続く、気が遠くなるほど続く、彼女の刻の中の今を、少しでも繋ぎとめられるように。


「なら、ね。僕のことは、忘れないで覚えていてください。……や、たとえ、あなたが忘れたいと言っても
 忘れられないように、ずっとずっと忘れないように――刻みつけてしまうさ」


「あらやだ、それは随分と……残酷なのねぇ」

 彼女はどこか挑戦的にも見える表情で、くっと笑った。その言葉に、我ながらそうかもしれないと。自嘲
 しながらも、タケルはそれが間違いのない自分の本心なのだと、悟った。そう、自分はこんなにも矮小で
 こんなにも、醜い。それでも恒久を凛と刻み続ける彼女がどうしようもなく、いとおしい。

「そうかもしれないね。だけど、これが僕の愛し方だから。申し訳ないけど僕は忘れてもかまわないなんて、
 そんなやさしいこと、言ってあげられない。僕は、そういう人間だよ」

 或いはあの子なら、そう言うのかもしれないけれど、と。自分と同じように人外の存在に心奪われた妹の
 ことを、タケルは思った。やさしいやさしい少女はきっと、忘れてくれと、泣くように笑うだろうけれど。


 自分、は。


 刻みつけてやりたい、壊してしまいたい。
 彼女の恒久の中で、己の存在など一瞬でしかないのだとしても。願わくばその一瞬に、消えない刻印を。 
 そんな思いを、込めながら。白く冷たい指先に口づけると、彼女はくすぐったそうに眉をゆがめた。


「……ふふ、でも悪くないわ、そういうのも」


 やってごらんなさいな、出来るものなら。
 




意地っ張りで寂しがりな魔女さまと、若干狂気のタケル←

まほヒカ版と対になっています。



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